岡崎城の桜とヒノアラシ その二

月曜日の続きです。
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岡崎城を築城したのは、意外にも家康の祖先である松平氏ではなかったのです。家康の祖父にあたる清康の代に、安祥城から岡崎城に移った訳なのです。
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名残りの桜とはいえ、結構花びらが残っていました。
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城の近くの川にも桜があります。花見には格好の場所でしょうね。
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実はこの川沿いは、昔の船着き場でした。民謡「岡崎五万石」でも謡われているように、城の下まで船が着くようになっているのです。
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石で造られたモニュメントがありました。河原には屋台もあります。この日もここで花見の宴会をしている人がいました。



金曜日に続きます。


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コメント

岡崎城…♪

おはようございます(^^♪

あぁ~そうでした^^
画像を見て少しだけ思い出しました。
岡崎城の近くに川がありましたね。
お城周辺の環境がとても素敵だったように思います。
桜がまだ残っていて良い雰囲気です♪
桜と岡崎城のコラボ、見たかったです(笑)

No title

 おはようございます。
 岡崎は訪れたことがないのですが、市内に川が流れているのですね。昔から川船による人の往来も多かったでしょうし、今でも花見などで市民の憩いの場所なんだろうなと想像してしまいました。^^

No title

cacocacoさんおはようございます。
岡崎城の近くには「乙川」という川が流れています。これは岡崎の中心を流れている川で、かつては水運が盛んだったのです。その川沿いに桜が数多く植えられているのですから、花見の名所になったのはある意味当然でしょうね。
実は天守閣に上ったことがないのです(笑)。そこからの風景は絶景なのでしょうが…。

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kouさんおはようございます。
詳しくは分からないのですが、どうも乙川に花見を楽しむための船があるようです。岡崎市の観光協会が運営しているのでしょうが、値段は大人一人¥1,000だとか。思ったより安いですね。船の上から見る桜は想像するだに素晴らしいものでしょうね。

おはようございます

城と川
これもまた 必須ですね
まあ~堀を作るうえで
必要ですからね

いい感じの町ですね (^.^)

No title

狭い松平郷から三河へ進出。さらに幾多の苦難のもと三河国主から織田家と同盟。
すさまじい人生を歩んで征夷大将軍まで上り詰めた人。その元がこの岡崎錠。一度行ってみたい城です。

No title

おはようございます。
お城と桜はいいですよね、川があれば
色々と利用が出来ますね。
昔の人の苦労と知恵を今の人が
学び楽しめるっていいですねぇ。

No title

なんとも のどかでいいなぁ・・・
ノンビリと 散策してみたい。
それにしても 歴史が近くにあるって
ウラヤマシイねぇ。

No title

船のモニュメント
大きな俵が乗ってますね。
民謡でも語り継がれる
当時の繁栄が今もこうして残ってるのも
家康さんゆかりの地だからこそですね。

No title

維真尽 (^^♪さんこんにちは。
以前住んでいた岐阜市には岐阜城(稲葉山城)がありますが、あれは金華山という山の頂上に城がある、所謂山城です。堀を巡らせるのは防衛の意味が大きいのですが、山城もそれと同様、攻めるのに困難を極めるからでしょう。もちろん堀のような物はありません。信長も随分苦労して城を落としたようです。

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nibari1498さんこんにちは。
松平家の始祖とされる松平親氏は、氏素性のはっきりしない人物だったようで、それがどういう手蔓を使ったのか、豊田の松平家に婿養子として入ってしまったわけです。
ですから、徳川家が新田家の一族というのは甚だ怪しいと言わざるを得ませんね。でも源氏の一族でないと、征夷大将軍になれませんから、無理やり家系図を捏造したのでしょう。そんなことは昔は当たり前だったようです。

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ムームーさんこんにちは。
ご存知のように、戦国時代の城というものは砦の役割が大きくて、権威を象徴する物となるのは、安土桃山時代以降です。この岡崎城は、家康の祖父清康の時には少し別の場所にあったようですが、それを今の所に移転しとのこと。防御的にもこちらの方が優れていたのでしょうね。

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└|∵|┐高忠┌|∵|┘さんこんにちは。
以前小田原城へ行かれたと仰っていましたが、おそらく岡崎城も同じような造りだと思います。というのも、私は城の中に入ったことがないので(;^_^A。
名古屋城のように、途中まででもエレベーターがあると、観光客には良いでしょうが、歴史散策という点からはちょっと違うような…。それで名古屋城を木造復元しようという話が出ているのです。

No title

せいパパさんこんにちは。
この五万石という民謡は、この地方では知らない人はいないぐらい有名です。この城から八帖離れた場所に味噌蔵があるのですが、そこは川下にある吉良の饗庭塩を使っていたとか。岡崎は文字通り、三河地方の中心だったのでしょう。味噌蔵については、金曜日に少し触れることになります。

サヤ侍

岡崎城の近くまで船が入って来た、成長岡崎五万石おばちゃんのお顔も良いですが歌にまでなった岡崎をやはり一度は見てみたい。
でもやはりコンクリート作りなのですね^^; へるぞうさんが天守に登ったことがない気持ちも何となく理解できます。名古屋城が木造で再建されたら絶対に行きますから(^0^)/
先日皇居を散歩していて初めて江戸城の天守跡を見ましたが、小池さん石原さんなど爺さんばかり虐めていないで江戸城復興をオリンピックに向けてやって欲しいなあ^^; 歴史に名を遺す知事になって貰いたいですね(^0^)/

No title

サヤ侍さんおはようございます。お返事が遅れて申し訳ありません。
岡崎城は明治時代廃城令によって取り壊されましたから、再建するとなれば鉄筋コンクリート造りになるのは致し方ないことでしょうね。ただし名古屋城だけは別で、戦時中空襲で焼ける前の詳細な図面や写真がちゃんと残っていますから、木造による復元も可能なわけです。
江戸城の天守閣は、明暦の大火によって焼失しました。当然復元も可能だったのでしょうが、時の老中だった保科正之がこれを止めさせたと云います。財政上の問題が主な理由だったと云われますが、石垣が重さに耐えられないほどの巨大な天守閣だったからとの理由もあったように聞いたことがあります。
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