三河一向一揆の拠点 本證寺 その二

昨日の続きです
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本證寺の御本尊である、阿弥陀如来立像です。本證寺は鎌倉時代の創建とされていますが、一向一揆鎮圧後、家康に他の宗派への改宗を迫られ、それを拒否したので廃寺となりました。現存しているのは江戸時代に再建されたものです。
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とはいえ、本堂を飾る欄間を見ても、芸術的な価値はありますね。
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ここは厨です。これも江戸期の建物です。
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本来なら、厨の中を見ることは出来ないのですが…。
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厨の外へ出て、道沿いを歩くと何やら土手のようなものが…。
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実はこれ、土塁だったのです。二重に土塁が作られて、空堀がありました。これはまさに戦国時代の遺構で、まさにここが家康との戦いの拠点だったことを物語るものです。
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本堂の裏手には、高さ2ⅿ以上の大きな鬼瓦があります。三河地方は瓦造りが盛んな土地であり、隣の高浜市は三州瓦の生産地として有名です。ただしこれだけの鬼瓦を作ることが出来る職人はほんのわずかしかいないようです。
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この瓦は、市内の藤井町で作られたもののようでした。
身近な場所に、三河の歴史を刻んできた寺が存在していることを再確認することが出来ました。
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コメント

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おはようございます
遠出をしなくても、身近な場所に歴史的な建造物があったりしますよね。
まずは、地元を知ること!
これ大切ですよね。

No title

くるたんパパさんおはようございます。
このあたりで歴史的な建造物というと、岡崎城や大樹寺という、徳川家康とゆかりのある場所になりますね。勿論この本證寺もそうです。あと安城の名前の由来となった「安祥城」ですが、今は歴史博物館が跡地に建っています。

No title

おはようございます~ このお寺も弾圧されたんですね~  権力者は時として宗教まで制限します
家康はキリシタンの弾圧もはじめて・・その後はひどい弾圧を重ねていきますね
欄間をみていると日光の東照宮のような感じがしますね これもそう言う影響だと思います
瓦・・明治35年! 残ってるもんですね~

No title

そうそう こういう身近な歴史!

萌え!なんだなぁ・・・・

また 萌える為に
本州へ 行かんばならん!!

ってねヽ(^。^)ノ

No title

テス(nosaman)さんおはようございます。
でも宗教というものが、常に争いの元になっているのは否定出来ないと思います。ヨーロッパや中東では血で血を洗う闘いが何世紀も続いていました。それに比べれば、日本はこの程度で済んだともいえそうです。
欄間はこれだけ写真に撮ってきましたが、実に素晴らしい細工が施されていました。仰るように、東照宮の影響が残っているのかもしれません。

No title

└|∵|┐高忠┌|∵|┘さんおはようございます。
こういう歴史は北海道にはないでしょうね。北海道の開発自体が、明治になってから本格的になりましたから。
明治時代に廃仏毀釈が行われて、数多くの寺が取り壊されたりしましたが、本證寺はしっかり残りました。ただ末寺は大分廃寺になってしまったようですが。

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うどんと糖尿病の関係ですが、以前何かの放送でやっていました。ちょっと確認をしましたら、やはりうどん好きの香川と徳島は最悪です。
http://www.dm-net.co.jp/calendar/2014/021920.php
まあそれでも気にしないで、食べればいいわけで、喫煙と同じで、「同じあほなら、食べなきゃ損損」でかましてるじんせいでしょう!

No title

送信すると「不正な投稿だと判断されました」と表示が出ます。
あれって、なんなんでしょう?
PWがないから?

No title

仙台から、おはようございます。

この厨(くりや)は貴重な遺構ですね。竈(かまど)などは残っていませんでしたか?床全体が土間でしたか?一部に板の間が有りましたか?水屋はどんな造りでしたか?
とても興味が有ります。

そして、土塁の跡、いい状態で残っていますよね。これもとても貴重です。

で、テスさんとへるぞうさんのやり取りにあった「宗教弾圧」ですが、別に宗教を信じることがいけなくて弾圧したのではないのですね。
この時期の一向宗は、仏の下に宗徒がみな平等という理想を掲げて、自治組織を作っていました。それが武家の力で中央集権国家を作ろうとしていた信長や秀吉、家康から見て危険な組織だったのでした。
日本には都市国家は存在しきれなかったのです。

今日の写真も内容が濃かったのですが、明日はどんなものを拝見できるのでしょう?

No title

おはようございます。
阿弥陀さま、いいですねぇ、厳かな気持ちに
なりますね、欄間もおしゃれです、とっても綺麗。
戦国時代の遺構がのこされてて素晴らしい。
こうして歴史に触れることが出来るって素敵ですね。

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nibari1498さんこんにちは。
あの後、私も調べてみましたが、やはりうどんと糖尿病には因果関係があるのかもしれません。うどんのようなカロリーの低い食べ物が何故?という疑問はありますが…。
もしかすると、うどんと共に食する天ぷらの類が問題なのでしょうか?

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nibari1498さん
私もよく分からないのですが、何度も投稿を繰り返すと、スパムだと判断されることがあります。管理人の私のコメントでさえそうなのです。別の記事にコメントするぐらいしかありません。何とかならないものでしょうか?

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あきあかねさんこんにちは。
厨の価値が分かるのは、あきあかねさんぐらいかな?と思っていました。流石ですね。ただここは元々見学が許されていない場所なので、奥の方まで入ることが出来ずに、遠くから写真を撮るぐらいしかできませんでした。入口を入ると三和土になっていて、恐らく右の方には竈があるような感じでした。
洋の東西を問わず、宗教は世俗の権力が築いた物とは別の秩序を求めますから、衝突するのは必然でしょうね。中世ヨーロッパでは、ローマ教会がキリスト教の権威をもって、諸国の君主を抑えてつけていたことが何よりの証拠でしょう。
残念ながら本證寺はこれで終了です。いずれ郷土史の史跡をまた訪ねてみたいと思っています。

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ムームーさんこんにちは。
鎌倉時代に建立されたままであれば、国宝になっていたかもしれませんね。残念ながら江戸時代に本證寺が再興されるまで、寺は末寺となり、空誓は追放されていました。
欄間のデザイン、天女のようですが…。他にもいろいろあったのですが、写真を撮り忘れてしまいました。

No title

この彫刻は味が有りますねぇ。
そしてこの梁、昔ならではの頑丈な梁です。
先人の知恵がなせる業です。

お~

鬼瓦
こちらでは石見瓦がありますよ (=^・^=)

できたら トラックバックします

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MONTAさんおはようございます。
こういった彫刻は、今ではとても出来ないでしょうね。一介の寺にこんな意匠の欄間があるだけでも驚きです。
厨の柱ですが、普通は丸柱の所が四角くなっているのが珍しいということです。この寺のほとんどすべてが史跡になっているので、何処から見ても興味の尽きない場所ではあります。

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維真尽(^^♪さんおはようございます。
これだけ大きな鬼瓦になると、一度に焼くのは無理なので、細かいパーツに分けて焼いていくそうです。それでもこれだけ大きいと、かなり難しいということでした。
関連したトラックバックはOKですよ。

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おはようございます。
欄間、カラフルですねぇ。
これが三州瓦かぁ。
大きな鬼瓦どやって焼くのかと思ったら
パーツに分けて焼くんだ。

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casa blancaさんおはようございます。
三州瓦は隣の高浜市が有名で、基幹産業となっているようです。鬼瓦を作る職人は「鬼師」と呼ばれる特別な存在のようで、技量と経験に富んだ職人でないと作れないとのこと。これだけ大きな鬼瓦を作るのは、並大抵のことではないと思います。
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